半球の強調は、本当に多くの人から反響をもらった。
4分割という単純なロジックにもかかわらず、多くの情報と洞察を与えてくれるというのがウケたのかもしれない。
半球の強調は、まずホロスコープの持ち主が、どのような環境に身を置くことになったのかということを私たちに教えてくれる。
人は強調された半球の環境にとりわけ多くのエネルギーを注ぎ、やがてそれが当たり前に感じるようになっていく。
けれど、そういったエネルギーの偏りが意識のパターン化を作り、その不安定さによって時に大きくバランスを崩すこともある。
火地風水という4つのエレメントにも、似たような考察が与えられている。
こちらのほうが皆になじみがあるかもしれない。
エレメントの進んでいくプロセスは、経験の完全なサイクルを示すと言われている。
火エレメントは物事を始める原動力や情熱の、地エレメントは現実性や感覚の、風エレメントは知性や客観化の、水エレメントは感情や記憶のそれぞれ経験を与える。
どこかのエレメントが欠如していると、経験能力に弱点を生む。
劣性機能は未発達になりやすく、シャドウやコンプレックスとして個人の問題につながりやすい。
半球の強調にも同じことが言える。
南半球強調はMC=社会性の意識を、北半球強調はIC=自我の根底にある意識を、東半球強調はASC=個人の生存意識をそれぞれ多く学ぶ。
では、西半球の強調はどうなのだろう。
西半球の強調は、DSCを中心として形成されている。
DSC=7ハウスは、集団の中で自己を確立する場所。
多くの人に受け入れられ、交流しやすい人格を手に入れることが目的のハウスだ。
ということは、つまり西半球の強調は、DSC=他者の意識を何よりも先に学ばなければならない環境に生まれ落ちたということになる。
そして、もちろん劣勢機能になりやすいのは反対の東半球ASC=個人の生存意識だ。
西半球の強調の人々に最も共通している性質は、つかみどころのなさだ。
何を考え、何を求め、何を目指しているのか、そういったものがこちらに伝わりにくい。
基本的に受け身なので、こちらがお膳立てしないと物事が一向に進まないような感覚に陥る。
「何食べる?」と聞けば「何でもいいよ」「あなたにお任せするよ」と答える。
また、彼らは非常に傷つきやすい。
もしくは「傷つけてはいけない」と感じさせる繊細な雰囲気を醸し出している。
つまり、彼らには非常に気を遣うのだ。
コンサルテーションの場でも苦戦するのは間違いない。
何を言っても「そうですね」「そうかもしれないです」といった反応を示すが、そうでもないようなのは一目瞭然だ。
そこで反対のことを聞いてみると、やはり「そうかもしれない」と同意する。
彼らは、自分のことがよくわかっていないのか?
それは、そうなのだろう。
西半球の強調は、ASCから遠く離れ、DSC=他者に意識が向くようにエネルギーが流れている。
彼らは、「私のニーズ」より、「他者のニーズ」を満たすことに多くの時間を割いてきたのだ。
「この人とこの人とこの人、誰が私と一番相性がいいですか?」といった?な質問を口にするのは大抵、西半球の人々だ。
このように彼らの中には、自分にふさわしい恋人さえも自分で特定できない人もいる。
そのくせ、ドラマチックな恋の訪れを本気で信じてもいるのだ。
これでは人生はややこしい。
でももしかしたら、「そうかもしれない」と答える彼らの不安は、また別のところにあるのかもしれない。
彼らはただ単に、「NO」と言うことで、その場が気まずいムードになるのを避けているだけではないだろうか。
自分の好みや欲求、目的や意思とは多少ズレがあっても、自ら気まずい状況を作るよりいい。
でもそうやって、なあなあやっているうちに人生は自分の望む方向から外れていく…
けれど彼らも人間なので、いつもいい顔を見せているわけにもいかない。
彼らは大抵、ごく親しい人々ー家族には全く違う顔を見せている。
怒鳴るし、わがままだし、強情だ。
意地悪もするし、優しくない時もある。
それは当然だ。
どこかで人はバランスを取らなくてはならないのだ。
では彼らのこのアンバランスさは、どのようにできたのか?
ティルは西半球の強調について、他人に利用されたり、搾取されたり、自分自身を他者に引き渡してしまう傾向が予測できると言っている。
「他人に受け入れられたいという強い欲求によって何を達成しようとしているのか」を意識する必要があるということだ。
これを補足すると、西半球の強調は他者を意識せざるを得なかった幼少期を送ったのかもしれないと考えられる。
もちろん、人によって形成のされ方は様々だが、病気などにより生きるために人の力を頼る必要があったということが考えられる。
また家が商売をやっていたり、社宅や団地など人の出入りの多い環境に身を置いていたということもある。
両親ではなく、祖父母によって育てられた可能性もあれば、両親のどちらかが「人前でそんなことしてはいけない」など、異常に人の目を気にする親だったという場合もあるかもしれない。
とにかく、彼らは本当の「私」ではなく、「よそゆきの自分」を作り上げ、人のためのサービス精神を発揮しなければならない状況が与えられたということだ。
そのため、成長してからも意識の中心、活動場面の中心が常に「人」になる可能性が考えられる。
基本的に依存傾向を持ち、他力本願的な生き方で自己を防衛する。
また逆に、他人の反応に敏感になり過ぎるため、対人恐怖といった防衛を作り上げることも多い。
けれど考えてみれば、ここは日本だ。
7ハウス=強調性というのが好まれる国なのだ。
実際、ティルのいうような「搾取され」というのは、個人の主張の強いアメリカならではの捉え方ではないのか?
日本はどう考えても、東半球強調よりは西半球の強調のほうが生きやすいだろう。
松村潔氏は、「1ハウスは7ハウス側の人に利用されるんだよ」とか「日本では7ハウス型の人が成功しやすいよ」と言っていたが、私もそれには大いに同感だ。
とにかく西半球の人々は、人を惹きつける力を持っている。
それに加えて、人のエネルギーを利用する能力は絶大だ。
私は、そういった西半球の強調の成功者を何人も知っている。
ここで初めて、先ほどのティルの質問「他人に受け入れられたいという強い欲求によって何を達成しようとしているのか」が重要になってくる。
「何のため」という目的意識を持った西半球の強調の人々は本当に強い。
人を取り込み、人を飲み込み、自分の目的を確実に果たしていく。
裏を返せば、目的がない場合、西半球の人々はただ「他人に受け入れられたい」という欲求のみにエネルギーを消耗し続ける。
そして、いつまでたっても「いい人」に甘んじることになる。
または人を気にしすぎて、人から遠ざかる。
つまり、彼らにとって必要なのは「人」ではなく「目的」。
要するにセラピーの方向は、「私のニーズ」を知ることだ。
もう誰も、子供の頃のように西半球の人々をコントロールしようとはしていない。
子供の頃の支配が続いているように錯覚しているだけだ。
ただ世の中は、パワーバランスでできている。
下手に出れば、必然的に相手は上手に出るしかない。
そういう仕組みなのだ。
自分で進んで下手に出るなんていう、バカバカしい真似は絶対に避けること。
だからといって、必死に相手をコントロールしようとするのもナンセンス。
そんなことしたら、人はさっと離れてしまう。
もうそろそろ人との間でバランスを取るのはやめて、自分自身と自分の目的に標準を合わせてみてはどうだろうか。
彼らは、自分たちが思っている以上に強い。
子犬のような頼りなさ、八方美人的な調子の良さ、状況に合わせて変化できる柔軟さ、他者のニーズの理解は、西半球の人のみに与えられた特権だ。
それを自己像として受け入れること。
開き直りは重要だ。
そして何よりもまず、正直な気持ちを口に出してみること。
人のリアクションよりも、己の欲望に忠実になってみる。
それが彼らが真の自己像に近づく鍵になる。
とにかく、素直に心の声を言葉にしてみるといい。
そうして自己の個性をアピールする。
人に好かれたって大していい思いができるわけではないことは、そろそろ西半球の人々も気づいているはずだ。
みんな、西半球の人々の素直な言葉を待っている。
少なくとも私はいつだって、西半球の人々が自己の目的に向かって進んでいくことができる日を心待ちにしている。
最後に西半球強調のセラピーにまあまあ効く、ネルソン・マンデラの獄中生活を支えたという詩を。
そういえば、マンデラも西半球の強調だね。
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が人生の支配者
私が我が魂の支配者なのだ
4分割という単純なロジックにもかかわらず、多くの情報と洞察を与えてくれるというのがウケたのかもしれない。
半球の強調は、まずホロスコープの持ち主が、どのような環境に身を置くことになったのかということを私たちに教えてくれる。
人は強調された半球の環境にとりわけ多くのエネルギーを注ぎ、やがてそれが当たり前に感じるようになっていく。
けれど、そういったエネルギーの偏りが意識のパターン化を作り、その不安定さによって時に大きくバランスを崩すこともある。
火地風水という4つのエレメントにも、似たような考察が与えられている。
こちらのほうが皆になじみがあるかもしれない。
エレメントの進んでいくプロセスは、経験の完全なサイクルを示すと言われている。
火エレメントは物事を始める原動力や情熱の、地エレメントは現実性や感覚の、風エレメントは知性や客観化の、水エレメントは感情や記憶のそれぞれ経験を与える。
どこかのエレメントが欠如していると、経験能力に弱点を生む。
劣性機能は未発達になりやすく、シャドウやコンプレックスとして個人の問題につながりやすい。
半球の強調にも同じことが言える。
南半球強調はMC=社会性の意識を、北半球強調はIC=自我の根底にある意識を、東半球強調はASC=個人の生存意識をそれぞれ多く学ぶ。
では、西半球の強調はどうなのだろう。
西半球の強調は、DSCを中心として形成されている。
DSC=7ハウスは、集団の中で自己を確立する場所。
多くの人に受け入れられ、交流しやすい人格を手に入れることが目的のハウスだ。
ということは、つまり西半球の強調は、DSC=他者の意識を何よりも先に学ばなければならない環境に生まれ落ちたということになる。
そして、もちろん劣勢機能になりやすいのは反対の東半球ASC=個人の生存意識だ。
西半球の強調の人々に最も共通している性質は、つかみどころのなさだ。
何を考え、何を求め、何を目指しているのか、そういったものがこちらに伝わりにくい。
基本的に受け身なので、こちらがお膳立てしないと物事が一向に進まないような感覚に陥る。
「何食べる?」と聞けば「何でもいいよ」「あなたにお任せするよ」と答える。
また、彼らは非常に傷つきやすい。
もしくは「傷つけてはいけない」と感じさせる繊細な雰囲気を醸し出している。
つまり、彼らには非常に気を遣うのだ。
コンサルテーションの場でも苦戦するのは間違いない。
何を言っても「そうですね」「そうかもしれないです」といった反応を示すが、そうでもないようなのは一目瞭然だ。
そこで反対のことを聞いてみると、やはり「そうかもしれない」と同意する。
彼らは、自分のことがよくわかっていないのか?
それは、そうなのだろう。
西半球の強調は、ASCから遠く離れ、DSC=他者に意識が向くようにエネルギーが流れている。
彼らは、「私のニーズ」より、「他者のニーズ」を満たすことに多くの時間を割いてきたのだ。
「この人とこの人とこの人、誰が私と一番相性がいいですか?」といった?な質問を口にするのは大抵、西半球の人々だ。
このように彼らの中には、自分にふさわしい恋人さえも自分で特定できない人もいる。
そのくせ、ドラマチックな恋の訪れを本気で信じてもいるのだ。
これでは人生はややこしい。
でももしかしたら、「そうかもしれない」と答える彼らの不安は、また別のところにあるのかもしれない。
彼らはただ単に、「NO」と言うことで、その場が気まずいムードになるのを避けているだけではないだろうか。
自分の好みや欲求、目的や意思とは多少ズレがあっても、自ら気まずい状況を作るよりいい。
でもそうやって、なあなあやっているうちに人生は自分の望む方向から外れていく…
けれど彼らも人間なので、いつもいい顔を見せているわけにもいかない。
彼らは大抵、ごく親しい人々ー家族には全く違う顔を見せている。
怒鳴るし、わがままだし、強情だ。
意地悪もするし、優しくない時もある。
それは当然だ。
どこかで人はバランスを取らなくてはならないのだ。
では彼らのこのアンバランスさは、どのようにできたのか?
ティルは西半球の強調について、他人に利用されたり、搾取されたり、自分自身を他者に引き渡してしまう傾向が予測できると言っている。
「他人に受け入れられたいという強い欲求によって何を達成しようとしているのか」を意識する必要があるということだ。
これを補足すると、西半球の強調は他者を意識せざるを得なかった幼少期を送ったのかもしれないと考えられる。
もちろん、人によって形成のされ方は様々だが、病気などにより生きるために人の力を頼る必要があったということが考えられる。
また家が商売をやっていたり、社宅や団地など人の出入りの多い環境に身を置いていたということもある。
両親ではなく、祖父母によって育てられた可能性もあれば、両親のどちらかが「人前でそんなことしてはいけない」など、異常に人の目を気にする親だったという場合もあるかもしれない。
とにかく、彼らは本当の「私」ではなく、「よそゆきの自分」を作り上げ、人のためのサービス精神を発揮しなければならない状況が与えられたということだ。
そのため、成長してからも意識の中心、活動場面の中心が常に「人」になる可能性が考えられる。
基本的に依存傾向を持ち、他力本願的な生き方で自己を防衛する。
また逆に、他人の反応に敏感になり過ぎるため、対人恐怖といった防衛を作り上げることも多い。
けれど考えてみれば、ここは日本だ。
7ハウス=強調性というのが好まれる国なのだ。
実際、ティルのいうような「搾取され」というのは、個人の主張の強いアメリカならではの捉え方ではないのか?
日本はどう考えても、東半球強調よりは西半球の強調のほうが生きやすいだろう。
松村潔氏は、「1ハウスは7ハウス側の人に利用されるんだよ」とか「日本では7ハウス型の人が成功しやすいよ」と言っていたが、私もそれには大いに同感だ。
とにかく西半球の人々は、人を惹きつける力を持っている。
それに加えて、人のエネルギーを利用する能力は絶大だ。
私は、そういった西半球の強調の成功者を何人も知っている。
ここで初めて、先ほどのティルの質問「他人に受け入れられたいという強い欲求によって何を達成しようとしているのか」が重要になってくる。
「何のため」という目的意識を持った西半球の強調の人々は本当に強い。
人を取り込み、人を飲み込み、自分の目的を確実に果たしていく。
裏を返せば、目的がない場合、西半球の人々はただ「他人に受け入れられたい」という欲求のみにエネルギーを消耗し続ける。
そして、いつまでたっても「いい人」に甘んじることになる。
または人を気にしすぎて、人から遠ざかる。
つまり、彼らにとって必要なのは「人」ではなく「目的」。
要するにセラピーの方向は、「私のニーズ」を知ることだ。
もう誰も、子供の頃のように西半球の人々をコントロールしようとはしていない。
子供の頃の支配が続いているように錯覚しているだけだ。
ただ世の中は、パワーバランスでできている。
下手に出れば、必然的に相手は上手に出るしかない。
そういう仕組みなのだ。
自分で進んで下手に出るなんていう、バカバカしい真似は絶対に避けること。
だからといって、必死に相手をコントロールしようとするのもナンセンス。
そんなことしたら、人はさっと離れてしまう。
もうそろそろ人との間でバランスを取るのはやめて、自分自身と自分の目的に標準を合わせてみてはどうだろうか。
彼らは、自分たちが思っている以上に強い。
子犬のような頼りなさ、八方美人的な調子の良さ、状況に合わせて変化できる柔軟さ、他者のニーズの理解は、西半球の人のみに与えられた特権だ。
それを自己像として受け入れること。
開き直りは重要だ。
そして何よりもまず、正直な気持ちを口に出してみること。
人のリアクションよりも、己の欲望に忠実になってみる。
それが彼らが真の自己像に近づく鍵になる。
とにかく、素直に心の声を言葉にしてみるといい。
そうして自己の個性をアピールする。
人に好かれたって大していい思いができるわけではないことは、そろそろ西半球の人々も気づいているはずだ。
みんな、西半球の人々の素直な言葉を待っている。
少なくとも私はいつだって、西半球の人々が自己の目的に向かって進んでいくことができる日を心待ちにしている。
最後に西半球強調のセラピーにまあまあ効く、ネルソン・マンデラの獄中生活を支えたという詩を。
そういえば、マンデラも西半球の強調だね。
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が人生の支配者
私が我が魂の支配者なのだ
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