「今年も2012年の予想を頼むね」という連絡をもらった。
去年の年末、ある集まりで「2011年の未来予測」というのをしぶしぶやったのだけれど、それが非常によく当たったというのだ。
その集まりは、もんじゅ計画にかかわった東大教授を筆頭に、財界、政界、マスコミ界など有識者と呼ばれる人々が参加しており、「排他的経済水域EEZにおける安全保障と産業活動」とかを真面目に話し合ったりしている。
そこでたまたま未来予想をしたら、それがウケたらしく(物珍しかっただけだと思うけど)、今年も是非ということになった。
今日の電話で「2011年3月〜4月頃、日本の土地が大揺れする」という私の予想が大当たりだったと主催の人は言っていた。
私、そんな言い方したっけ?
参加者に財界の人が多いから、経済寄りの話として「3月から4月にかけて、不動産は2番底が来るかもしれない」という4ハウス関連の話はしたかもしれないけど、それは地震のことではない。
予想するというのは、こういう怖さがある。
人は、自分の解釈したいように物事を捉えるからね。
でも、私は「今年もやりますよ」と答えた。
占星術師はチャレンジのひとつとして、やはりそういう活動もしなければならない。
そう私は考える。
血祭りに上げられるかもしれない未来予測に挑むことは、昔から続いている占星術師の宿命だ。
もともと占星術は、未来を予測する手段のひとつとして発展してきた。
バビロニアの境界石に残っている300点近い文書にも
「暈が月をかこみ、その中に惑星が入るならば、盗賊が横行する(土星が月の暈に入った)。もし木星が金牛宮(おうし座)に接近すれば、国土の幸運は過ぎ去り、牛や羊の生殖は凶である(木星は金牛宮に入った。主よ、嵐に注意されよ)。火星が太陽の道に達したならば、家畜の飢饉と欠乏があろう(火星は土星に接近した)。いずれかの惑星が火星に向き合うならば、敵の侵入があるだろう」
とある。
今と解釈は違うけれど、こんなように占星術は利用されていた。
紀元前12世紀くらいの話。
占星術が宇宙論のひとつであると考えるなら、占星術は時代の変遷を読むのにふさわしい。
占星術は、時代感覚を読むのにふさわしい技術を育ててきた。
しかし、私たちは未来予測が当たらない時代に生きている。
昔のようには誰も国の行方を左右するほどの絶対君主的な権限を持つことはなくなり、もはや国の命運は民衆の手に委ねられようとしている。
鏡リュウジ氏も「なぜ今ではあいまいな予言しかできなくなったのか」ということについてリズ・グリーンの言葉を引用し、
「このような運命論的なルネッサンス占星術師は、その予言において異常なまでに正確であった。しかし、それよりももっと興味深い側面がある。数百年前には、具体的な形で正確な予言の基いとなっていた法則が、その信用性を失ってしまった。それはリズによれば、時代精神として次第に人間が内的世界を意識するようになり、以前であれば外的にしか現れようのなかった心的エネルギーがさまざまな形で展開されるようになったからだという」
「国王という集合的ペルソナと同一化し、内的世界を持つことができなかった王は具体的な予言を成就させてしまう」
と書いている。
昭和天皇のチャートを読んだことがある人なら知っていると思うが、第二次世界大戦中、日本国が歩んできた道のりと昭和天皇のそれは運命共同体とも言える同一化を見せている。
もはや今の日本には、国と共に運命を背負う人物はどこにもいない。
だから日本の未来を予想しようと思ったら、憲法公布図、季節図、蝕図、首相のネイタルチャートと、できる限り多くのチャートを読み、そこから浮かび上がってきた酷似した作用を抽出して、最終的に落とし所を判断しなければならない。
あまり他の人は使わないかもしれないが、私は米ドル公布、日本円公布のチャートも使う。
私は経済の、政治のプロフェッショナルではないので、とにかく思いつく限りのチャートを読むしなかない。
みんなが肌で感じているように、世界中では、いよいよ不況の大波が押し寄せてこようとしている。
それは星を読まなくても明確。
そういった時代の感覚は、やはりトランスサタニアンが知っているかもしれない。
去年の年末、ある集まりで「2011年の未来予測」というのをしぶしぶやったのだけれど、それが非常によく当たったというのだ。
その集まりは、もんじゅ計画にかかわった東大教授を筆頭に、財界、政界、マスコミ界など有識者と呼ばれる人々が参加しており、「排他的経済水域EEZにおける安全保障と産業活動」とかを真面目に話し合ったりしている。
そこでたまたま未来予想をしたら、それがウケたらしく(物珍しかっただけだと思うけど)、今年も是非ということになった。
今日の電話で「2011年3月〜4月頃、日本の土地が大揺れする」という私の予想が大当たりだったと主催の人は言っていた。
私、そんな言い方したっけ?
参加者に財界の人が多いから、経済寄りの話として「3月から4月にかけて、不動産は2番底が来るかもしれない」という4ハウス関連の話はしたかもしれないけど、それは地震のことではない。
予想するというのは、こういう怖さがある。
人は、自分の解釈したいように物事を捉えるからね。
でも、私は「今年もやりますよ」と答えた。
占星術師はチャレンジのひとつとして、やはりそういう活動もしなければならない。
そう私は考える。
血祭りに上げられるかもしれない未来予測に挑むことは、昔から続いている占星術師の宿命だ。
もともと占星術は、未来を予測する手段のひとつとして発展してきた。
バビロニアの境界石に残っている300点近い文書にも
「暈が月をかこみ、その中に惑星が入るならば、盗賊が横行する(土星が月の暈に入った)。もし木星が金牛宮(おうし座)に接近すれば、国土の幸運は過ぎ去り、牛や羊の生殖は凶である(木星は金牛宮に入った。主よ、嵐に注意されよ)。火星が太陽の道に達したならば、家畜の飢饉と欠乏があろう(火星は土星に接近した)。いずれかの惑星が火星に向き合うならば、敵の侵入があるだろう」
とある。
今と解釈は違うけれど、こんなように占星術は利用されていた。
紀元前12世紀くらいの話。
占星術が宇宙論のひとつであると考えるなら、占星術は時代の変遷を読むのにふさわしい。
占星術は、時代感覚を読むのにふさわしい技術を育ててきた。
しかし、私たちは未来予測が当たらない時代に生きている。
昔のようには誰も国の行方を左右するほどの絶対君主的な権限を持つことはなくなり、もはや国の命運は民衆の手に委ねられようとしている。
鏡リュウジ氏も「なぜ今ではあいまいな予言しかできなくなったのか」ということについてリズ・グリーンの言葉を引用し、
「このような運命論的なルネッサンス占星術師は、その予言において異常なまでに正確であった。しかし、それよりももっと興味深い側面がある。数百年前には、具体的な形で正確な予言の基いとなっていた法則が、その信用性を失ってしまった。それはリズによれば、時代精神として次第に人間が内的世界を意識するようになり、以前であれば外的にしか現れようのなかった心的エネルギーがさまざまな形で展開されるようになったからだという」
「国王という集合的ペルソナと同一化し、内的世界を持つことができなかった王は具体的な予言を成就させてしまう」
と書いている。
昭和天皇のチャートを読んだことがある人なら知っていると思うが、第二次世界大戦中、日本国が歩んできた道のりと昭和天皇のそれは運命共同体とも言える同一化を見せている。
もはや今の日本には、国と共に運命を背負う人物はどこにもいない。
だから日本の未来を予想しようと思ったら、憲法公布図、季節図、蝕図、首相のネイタルチャートと、できる限り多くのチャートを読み、そこから浮かび上がってきた酷似した作用を抽出して、最終的に落とし所を判断しなければならない。
あまり他の人は使わないかもしれないが、私は米ドル公布、日本円公布のチャートも使う。
私は経済の、政治のプロフェッショナルではないので、とにかく思いつく限りのチャートを読むしなかない。
みんなが肌で感じているように、世界中では、いよいよ不況の大波が押し寄せてこようとしている。
それは星を読まなくても明確。
そういった時代の感覚は、やはりトランスサタニアンが知っているかもしれない。
スポンサーサイト
| ホーム |