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nicosmic life --- 心理占星術と未完成な日々

私たちは誰でも宇宙のエネルギーを利用することができる
A Child Is Seen Being Born Out Of An Egg
午前中「子供のダンスの発表会があるからビデオ撮ってくれる?」というメールをもらったので、急いで会場に向かった。
今日から集中基礎講座が始まる予定だったから本当は断ってもよかったのだけど、朝起きて「よし、今日は子供のように一日を楽しんでみよう」と思い立ったところだったので、なんとなく行ってみる気になった。

昔、カメラを担いで撮影していたのを久しぶりに思い出した。
そしてカメラからのぞいた子供たちの、踊っているのか、踊らされているのか、その緊張感に少なからず感動した。

その帰り道、友人から「○○さんが亡くなったよ」という連絡をもらった。
その人は末期がんで、倒れてからあっという間に息を引き取った。
たくさんの命の輝きを観た後だったので、悲しみと同時に人の生の皮肉さ感じることになった。

大江健三郎は、ある本の中で「死んだ者のためではなく、今生きている者のためでもなく、これから生まれてくる者のために何ができるのかを考えよう」と書いた。
そのために彼は脱原発のデモに残りの人生の大部分を捧げているのだろうけれど、これはかなり水瓶座的な発想だと思う。
未来志向というか、土星の世界から飛び出した発言だ。

先日、ある女性から祖先や血縁の重要性について長い講釈をされたばかりだったが、やはり私も大江健三郎と同じように、過去ではなく未来に思いを馳せる傾向を持っているのかもしれないなとしみじみ思った。
それは私の生まれに関係しているのかもしれない。
父は長男だったのにも関わらず故郷を捨て、母方の祖母は両親を知らず、母も父親の存在を知らない。

初めて太陽のサビアン「卵から生まれつつある子供」というのを知った時、「そうだろうな…」と深く納得をしたのだが、いわゆるスピリチュアルな人たちが言うような「○○星からやってきた」みたいなのには、今の私は少しも心を動かされない。
どの星から来ようが、所詮、孤独は孤独なのだ。
まあアーサー・ケストラーの言う「個人の意識は宇宙意識に一片にすぎず、死後再び全宇宙に吸収されていく」というのは、もちろん理解できるけどね。

私のノーアスペクトの太陽は、まだ地上的世界にたっぷり未練を残している。
これまでは、私がこの世に生れて来たことの理由づけとして占星術に関わってきたけれど、それをもっと現実的に活用していきたい、もっと共同体の中で役割を果たしていきたいと強く希望している。
それが私の地上との大きなつながりの感覚なのだ。

私が最近、サビアンのことばかり書いているのは、それにまつわる出来事が次々に起こるからなわけだけど、または、あまりに広い視点で占星術を考えて過ぎていたその反動ということもあるかもしれない。

そういえば、この前サビアンについて書いたら、すずきふみよしさんから、「次回のワークショップでnicoさんのコメント使わせてください」と連絡をもらった。
明日がそのワークショップだそう。
私はちょうど打ち合わせなので行くことができないけれど、お時間がある方は是非こちらで確認を!



サビアン占星術ワークショップ

アスペクトの組み合わせでサビアン読みをやってくれるらしいよ。
面白そうだね。
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