このブログを開設してから2年半くらい経つのだと思うけど、私のくどい性格のせいか、けっこう同じテーマが繰り返し登場している。
今日のテーマも、もう何度も書いてきたことだから、きっと聞き飽きた人もいるかもしれないけど、生徒さんから質問があったので、また書いてみることにする。
心理占星術を忌み嫌う人たちがいる。
「当てることから逃げている」とか、「結局、物事を曖昧にしているだけだ」とか、「問題を掘り起こして何になるのだ」とか、そういった理由が多い。
心理学的視点から見ると、何かを嫌悪するということは、そこに「焦点」が当たっているということだから、心理占星術云々ということではなく、それは受け止める側の問題ということになるのだろう。
その真意はさておきとして、心理占星術を学ぶ過程で、何かこころがしんどくなるという人が時々いる。
昔、ブログにも書いたけど、「心理占星術って痛いですね」ということだ。
天体の象徴を学んでいく際、無意識に封印していたこころのしこりや影のようなものが占星術の象徴とシンクロしてしまい、ざわざわとこころが騒ぎ始めるのだ。
象徴の力は、本人の予期しない深層に働きかけるという点にある。
そこが心理占星術の最初の壁となるだろう。
月が本当に求めているもの。
太陽が本当に目指していること。
金星の安全の実感。
火星の獲得欲求。
木星や土星の非自己な教育。
そしてトランスサタニアンの統合的な自己への葛藤と目覚め。
こういった象徴を心理的にアプローチすること学んでいくにあたり、自分のこころが何か、違和感を感じ反応し始める。
成長の第1ステップだ。
これは、もちろん喜ばしいことには違いない。
新しい認知は自己の発展のために望ましい、必要なことではあるのだが、本人にとってはまず不安感や恐怖感が先立ってしまう。
今まで用いていた自我防衛が揺らぎ始めるのだ。
心理学者の河合隼雄氏は、こころが変化し始める過程を「可能性の世界」と表現していた。
そして、可能性の世界はプラスもマイナスも含んでいると言った。
自我防衛をゆるめながら、その可能性を自分のものとして消化していく。
成長過程とは、その葛藤を何度も繰り返しながら、成長した自己によりふさわしい「家」を探す行為であり、その新しい「家」に馴染んでいくプロセスを体験することだ。
ヤドカリの住まい探しと同じだが、それには、もちろん危険もはらんでいる。
そしてヤドカリ同様、それは一生のうちで何度も行わなくてはならない。
今、天空上で天王星と冥王星が、その体験を速やかに行うよう要求している。
冥王星単体ではそうはいかなかったであろう「気づき」もそこにある。
ただ、求められる変化があまりに速いため、私たちのこころがなかなか追いついていかない。
私たちは、現場でその手伝いをすることになる。
だからこそ、「可能性の世界」への道の険しさも知っておく必要があるのだ。
その難しさがわからずに、「天王星が来ているから変化の時です。さあ変わりましょう!」とか(ある時、生徒さんが「どの占い師の人に見てもらっても、決まり文句のように「今、変化の時です」って言われるのですが、あれって占星術の決まり事なんですか」と言われたことがある)、「あなたは冥王星□太陽を持っているから、結婚しても幸せになれない」とか昔ながらの占星術のアドバイスをした結果、お客さんを不愉快にさせたり、怒らせたりすることになるのだ。
つまり、本人の体験に沿った象徴読みができていないということだ。
天王星が来ていても、本人の成長のプロセスがついてきていなければ、変化を勧める必要はない。
冥王星が来ている時は、クライアントとの信頼関係をまず先に築かなければ、鑑定は失敗する。
私たちは、ホロスコープが読めるという脅威の武器を手にしている。
心理占星術を学べば、天体の象徴がわかるだけでなく、「可能性の世界」の扉が非常に重く、それを開けるのは容易でないこともわかる。
マスローは、このように言う。
われわれは人間の健康な傾向をも理解しなかったならば、人間の弱さを本当に理解できない。さもなければ、あらゆる事柄を病理化するという誤りに陥る。しかしまた、われわれ人間の弱さを理解しなければ、決して人間の力を完全に理解できず、助けることもできない。さもなければ、ただ合理性にのみ頼ることとなり、過度の楽観主義者の誤りに陥るのである。
われわれは、人間がさらに完全な人間になるよう導きたいと思うなら、人は自己を実現しようとするだけでなく、またそれを嫌がったり、おそれたり、できなかったりするものであることも、認識させなければならない。
問題と可能性の両面を二元的にではなく、それを同等に扱いつつ心理占星術を学んでもらえれば、きっと生きる意味の再発見につながるのではないかと思っている。
占星術を通じて、普遍的なこころの働きを学び、また時代が作り出しているこころのテーマを学び、成長のプロセスを感じてもらえたらと思っている。
そのプロセスは簡単ではないかもしれないが、たとえ恐る恐るではあっても、既に合わなくなった古い「家」を少しずつ離れ、自らのエネルギーを外に向かって役立て、楽しみ、創造的目的に用いることができるようになってくれたらと思う。
多くの生徒さんが学びの過程で輝き出すのを見てきた。
小さな一歩であっても、それを踏み出すのも見守らせてもらっている。
心理占星術を学ぼうと決心した時点で、可能性の世界への扉の前に立つことができたのだ。
私は、そう信じている。
今日のテーマも、もう何度も書いてきたことだから、きっと聞き飽きた人もいるかもしれないけど、生徒さんから質問があったので、また書いてみることにする。
心理占星術を忌み嫌う人たちがいる。
「当てることから逃げている」とか、「結局、物事を曖昧にしているだけだ」とか、「問題を掘り起こして何になるのだ」とか、そういった理由が多い。
心理学的視点から見ると、何かを嫌悪するということは、そこに「焦点」が当たっているということだから、心理占星術云々ということではなく、それは受け止める側の問題ということになるのだろう。
その真意はさておきとして、心理占星術を学ぶ過程で、何かこころがしんどくなるという人が時々いる。
昔、ブログにも書いたけど、「心理占星術って痛いですね」ということだ。
天体の象徴を学んでいく際、無意識に封印していたこころのしこりや影のようなものが占星術の象徴とシンクロしてしまい、ざわざわとこころが騒ぎ始めるのだ。
象徴の力は、本人の予期しない深層に働きかけるという点にある。
そこが心理占星術の最初の壁となるだろう。
月が本当に求めているもの。
太陽が本当に目指していること。
金星の安全の実感。
火星の獲得欲求。
木星や土星の非自己な教育。
そしてトランスサタニアンの統合的な自己への葛藤と目覚め。
こういった象徴を心理的にアプローチすること学んでいくにあたり、自分のこころが何か、違和感を感じ反応し始める。
成長の第1ステップだ。
これは、もちろん喜ばしいことには違いない。
新しい認知は自己の発展のために望ましい、必要なことではあるのだが、本人にとってはまず不安感や恐怖感が先立ってしまう。
今まで用いていた自我防衛が揺らぎ始めるのだ。
心理学者の河合隼雄氏は、こころが変化し始める過程を「可能性の世界」と表現していた。
そして、可能性の世界はプラスもマイナスも含んでいると言った。
自我防衛をゆるめながら、その可能性を自分のものとして消化していく。
成長過程とは、その葛藤を何度も繰り返しながら、成長した自己によりふさわしい「家」を探す行為であり、その新しい「家」に馴染んでいくプロセスを体験することだ。
ヤドカリの住まい探しと同じだが、それには、もちろん危険もはらんでいる。
そしてヤドカリ同様、それは一生のうちで何度も行わなくてはならない。
今、天空上で天王星と冥王星が、その体験を速やかに行うよう要求している。
冥王星単体ではそうはいかなかったであろう「気づき」もそこにある。
ただ、求められる変化があまりに速いため、私たちのこころがなかなか追いついていかない。
私たちは、現場でその手伝いをすることになる。
だからこそ、「可能性の世界」への道の険しさも知っておく必要があるのだ。
その難しさがわからずに、「天王星が来ているから変化の時です。さあ変わりましょう!」とか(ある時、生徒さんが「どの占い師の人に見てもらっても、決まり文句のように「今、変化の時です」って言われるのですが、あれって占星術の決まり事なんですか」と言われたことがある)、「あなたは冥王星□太陽を持っているから、結婚しても幸せになれない」とか昔ながらの占星術のアドバイスをした結果、お客さんを不愉快にさせたり、怒らせたりすることになるのだ。
つまり、本人の体験に沿った象徴読みができていないということだ。
天王星が来ていても、本人の成長のプロセスがついてきていなければ、変化を勧める必要はない。
冥王星が来ている時は、クライアントとの信頼関係をまず先に築かなければ、鑑定は失敗する。
私たちは、ホロスコープが読めるという脅威の武器を手にしている。
心理占星術を学べば、天体の象徴がわかるだけでなく、「可能性の世界」の扉が非常に重く、それを開けるのは容易でないこともわかる。
マスローは、このように言う。
われわれは人間の健康な傾向をも理解しなかったならば、人間の弱さを本当に理解できない。さもなければ、あらゆる事柄を病理化するという誤りに陥る。しかしまた、われわれ人間の弱さを理解しなければ、決して人間の力を完全に理解できず、助けることもできない。さもなければ、ただ合理性にのみ頼ることとなり、過度の楽観主義者の誤りに陥るのである。
われわれは、人間がさらに完全な人間になるよう導きたいと思うなら、人は自己を実現しようとするだけでなく、またそれを嫌がったり、おそれたり、できなかったりするものであることも、認識させなければならない。
問題と可能性の両面を二元的にではなく、それを同等に扱いつつ心理占星術を学んでもらえれば、きっと生きる意味の再発見につながるのではないかと思っている。
占星術を通じて、普遍的なこころの働きを学び、また時代が作り出しているこころのテーマを学び、成長のプロセスを感じてもらえたらと思っている。
そのプロセスは簡単ではないかもしれないが、たとえ恐る恐るではあっても、既に合わなくなった古い「家」を少しずつ離れ、自らのエネルギーを外に向かって役立て、楽しみ、創造的目的に用いることができるようになってくれたらと思う。
多くの生徒さんが学びの過程で輝き出すのを見てきた。
小さな一歩であっても、それを踏み出すのも見守らせてもらっている。
心理占星術を学ぼうと決心した時点で、可能性の世界への扉の前に立つことができたのだ。
私は、そう信じている。
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