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nicosmic life --- 心理占星術と未完成な日々

私たちは誰でも宇宙のエネルギーを利用することができる
無力感から得られるものもある
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読売新聞掲載のオバマ大統領のインタビューを読み、煙に巻かれたような感じがした。
それと同時に、オバマ大統領来日の一報をあのような形でしか伝えられない弱腰な政権に腹立たしさと無力感を味わった。
水面下でどのような取引が行われていたのか、私たちは知る由もないが、とにかく読後感は置き去りにされたという空しい感覚しか得られていない。
政治力がまったく欠如している私には、記事の行間を読むことも、その背景を理解することも、興味や根気を持ちえない。
おかげで、朝からすっかりぐったりしている。

昨日の勉強会では、土星の限界値について、やたらアツく講義をした。
自分にも思うことがあったのかもしれない。
まずは自分の太陽系をしっかり確立しておくこと。
その境界線をしっかり引いておくこと。
これが自己の水星や金星、また他者の水星や金星を守ることにつながる。
特にアウタープラネットが優位の時期は、意識的に線引きをしておかないと個人を守ることができない。
というような話。

けれど、人はそれだけでは成長できないし、また恩寵を受けることもできない。
だから人は、チャレンジとして異物としての他者、または恐れとしての新たな体験に向けて自分を解き放つ必要がある。
それがアウタープラネット的体験だ。

日曜日、1年半ぶりに太極拳のクラスに参加した。
運動不足だったわりに、なぜか身体が気持ちよく動いた。
先生にも「久しぶりのくせに、うまくなっているじゃない」と褒められた。
なんだか、すっかり落ち着いて、うまく自分を殺せるようになっているわね、と。

中年の危機真っ只中の私は、自分を見失ったと感じることが多くなった。
明確な意見、明確な立ち位置、明確な目標を失い、すべては天任せと、半ば諦めのような自分を持て余すこともあった。
その反対で、求められれば何にでもなれるような柔軟さが生まれた。
自分を手放す必要性も理解できた。

太極拳は、自然との調和を求められる。
そのために、自分を殺すという訓練をさせられる。
ここにいる私は、私であって私でない、ということだ。

これは、ドイツ神学の「私が善をわがものにしていると言うのは、それが私のものであるとか、私は善である、といった妄想から来ているのである。これはまさに、不完全さと愚かしさのしるしである。もし真理が私のうちに意識されるとすれば、私はそのとき、私がそれではないこと、それが私のものではなく、また私から出たものでもない、ということを知るのであろう」にも通じる考え方である。

またユングも、「自我とは私自身についての一定の経験であるが、それと同じように、本来的自己は自我が経験するものでもあるけれども、それは「非我」という形態において経験されるのである」と言っている。

自我は無力な存在だ。
けれど無力は、「自我性をもたない本来的自己へと突破すること」への挑戦ともなる得る。
そこまでの道のりは本当に長いけれど、中年の危機のひとつの側面として、「私は、私であって私でない」訓練があってもいいのかもしれない。

そうしたらいずれ、忽滑谷快天の言う「自己についての誤った見方から脱したときに、われわれの道徳的な力をめざめさせ、われわれの精神的な眼をひらかせ、われわれの新しい能力を発展させ、われわれに使命を与える。こうしてわれわれの精神は完全に変容させられる。われわれはもやは、怒りや憎しみによって乱されることなく、妬みや野心によって傷つくこともなく、憂いや悲しみに悩まされることもなく、もうこれ以上、淋しさや絶望に負けてしまうことはないのである」に地下ずくこともできるのかもね。

今日のアネモネの会では、自分のチャートを語るというのをやる予定だけど、久しぶりに自分のチャートを見たら、例のグランドクロスがアングル上で形成されているのを見て驚いた。
まさに、「変容と使命」の意識。
無力感から広がる全体性を感じつつ、自分の生活を粛々と営んでいこうと思った。

今日のアネモネの会、本当に楽しみだ。

nico
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