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nicosmic life --- 心理占星術と未完成な日々

私たちは誰でも宇宙のエネルギーを利用することができる
自由に表現できているか
ヘンリー・ミラーだったか誰だったか、私の古い読書ノートに、こんな一文が書き残されている。

解決策は、道徳的原理を持ち出さないことだ。
真摯であればいい。
自己に対して真摯になることだ。

もう、何かとても息苦しい。
美味しんぼの記事を読んで、心からそう思った。
一億総・検閲官の時代。
個人の作品に、ここまでツッコミが入るなんて、何かがおかしい。
しかも、それが道徳的/感情的な価値観によるツッコミなんて何か変だ。
なんとも生きにくい時代になったのだなと実感する。

自己表現というのは、必要に迫られて行うものだ。
その結果も、評価も、その瞬間は考えに及ばない。
自分の中から湧き上がってくる力に任せ、自己表現は行われる。
そうでなければ、30年も書き続けることなんてできない。
自分に嘘をつきながらでは、創造性は生まれない。
当たり障りのない美辞麗句など、私には興味がない。

昨日の基礎講座でも、そんな話になった。
倫理や道徳=木星が、自由に考え、自由に発言すること=水星を妨げられてはいないかという話。
周囲のムードを推し量りすぎて、神経がくたびれ果ててしまっていないかという話。

昔、私が慕っていたTVのディレクターは、とても過激な人だったが、彼から受けた教えのいくつかは、今でも私の教訓として生きている。
そのいくつかに、こんな言葉がある。

部外者になるな、当事者になれ。
決して、自分を被害者にするな。

当時、私はとても若く、彼の教えに反発することも多かったが、今なら、その意味がよくわかる。
人は総じて言いたいことを言うが、外野の人間には決してわからない、必死の「生」というのがある。
一個人の美談も失態も、実際の出どころは同じだ。
何かを行った結果として、美しさも醜さもある。
それは仕方ないではないか。

自分を憐れむことなかれ。
当事者として命を燃やしているほうが人生に重みが出る。
苦しいことも多いけど、やはりそうなのだ。

作品の結果は、結果として受け止めるしかない。
けれど、私は書かざるを得なかった表現者の必要性を擁護したいと思う。

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