昨日の勉強会は、せっかく美しい月が夜空にのぼっているのだからということで、天体望遠鏡で月を見てもらうことにした。
天体望遠鏡で見る月は、肉眼で見るのとも、写真で見るのとも、まったく印象が違う。
その違いをリアルに感じてもらい、月の象徴をリアルに感じてほしいというのが、その目的だった。
本当は、nicosmic journeyの企画の一環としてやりたかったのだけど、せっかくきれいな月夜だったからね。
参加者のみねんこさんが、その印象をとても的確な文章でまとめていたので、ちょっと載せてみたいと思う。
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望遠鏡でどアップのブルームーンを見ました。
月ってどんなにクッキリと空に光っていても静かな光のイメージがありました。
望遠鏡の視野いっぱいになった月は絵の具では出せない色、印刷やモニターでも再現されない迫力で驚きました。
表面のクレーターは、よく写真で見るような灰色でミステリアスな雰囲気ではありませんでした。
あれは、クレーターを鮮明に見せるために月の輝きを落としているのだなと思います。
月の輪郭が微かにデコボコして、そこがメラメラとして見えました。
クレーターは正面から強烈な太陽の光にさらされています。
繊細な彫り込みがあるオブジェにスポットライトが当たり絶妙な飛び具合で紋様が浮かび上がるような感じでした。
生き生きして、話しかけてくるようです。
そしてあまりにも輝きが強くて、目が痛み、長いこと見ていられなかった。
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本当に、みねんこさんの文章の通り、天体望遠鏡越しに見る月は冷たい印象だったり、幻想的だったりするわけではなく、実は、生々しい生き物としてのエネルギーを感じたりする。
そして、直視できないほどに明るい。
あのリアルな輝きは太陽のそれとも違い、昨日の勉強会の中で出てきた蟹座の”強い思いに圧倒される”という印象にも重なるんじゃないかと思う。
熱そのものの明るさではなく、光の反射による輝き。
これこそ、まさに月の象徴を物語っているのではないだろうか。
月は、私自身の投影そのものだ。
似たような話、去年の2月のブログ地球と月の関係にも生命の樹の話を用いて書いた。
セフィロトでは、マルクト=地球が隣接しているのは、イエソド=月しかないので、イエソド=月を理解する以外に、マルクト=地球=私を理解する方法がないということがわかる。
つまり、鏡がないとまったく自分を見ることができないように、月を通して、地球=私を理解するしかないということだ。
月は、地球から分離した地球のかけらと考えられることもあり、「夢が造られるような材料」というカバラの解釈は実に面白い。
夢=理想の未来は、太陽の持つ象徴である。
その夢の材料を持っているのが月というは、なるほど納得だ。
月をリアルに感じられれば、太陽もよりリアルになるということだ。
そして、太陽の力が強ければ、月の反射による輝きもより強くなる。
自分を照らす力と、自分を反射させる力は比例する。
いずれにしても、ジオセントリックな視点では、太陽と月の光は”私”そのものということになる。
うじゃうじゃ書いたけど、天体観測は興味が尽きない。
なぜなら、天体そのものをしっかり観測することで、象徴の意味がより現実感覚を増すからだ。
円谷企画のnicosmic journyでは、そんな体験も味わってもらいたいと思っています。
これからもお楽しみに!
これは、天体望遠鏡のレンズにiphoneのレンズをあてて撮った写真。
ここに強烈なまぶしさと輝きが加わらないと、あの感動は伝わらないね。

天体望遠鏡で見る月は、肉眼で見るのとも、写真で見るのとも、まったく印象が違う。
その違いをリアルに感じてもらい、月の象徴をリアルに感じてほしいというのが、その目的だった。
本当は、nicosmic journeyの企画の一環としてやりたかったのだけど、せっかくきれいな月夜だったからね。
参加者のみねんこさんが、その印象をとても的確な文章でまとめていたので、ちょっと載せてみたいと思う。
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望遠鏡でどアップのブルームーンを見ました。
月ってどんなにクッキリと空に光っていても静かな光のイメージがありました。
望遠鏡の視野いっぱいになった月は絵の具では出せない色、印刷やモニターでも再現されない迫力で驚きました。
表面のクレーターは、よく写真で見るような灰色でミステリアスな雰囲気ではありませんでした。
あれは、クレーターを鮮明に見せるために月の輝きを落としているのだなと思います。
月の輪郭が微かにデコボコして、そこがメラメラとして見えました。
クレーターは正面から強烈な太陽の光にさらされています。
繊細な彫り込みがあるオブジェにスポットライトが当たり絶妙な飛び具合で紋様が浮かび上がるような感じでした。
生き生きして、話しかけてくるようです。
そしてあまりにも輝きが強くて、目が痛み、長いこと見ていられなかった。
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本当に、みねんこさんの文章の通り、天体望遠鏡越しに見る月は冷たい印象だったり、幻想的だったりするわけではなく、実は、生々しい生き物としてのエネルギーを感じたりする。
そして、直視できないほどに明るい。
あのリアルな輝きは太陽のそれとも違い、昨日の勉強会の中で出てきた蟹座の”強い思いに圧倒される”という印象にも重なるんじゃないかと思う。
熱そのものの明るさではなく、光の反射による輝き。
これこそ、まさに月の象徴を物語っているのではないだろうか。
月は、私自身の投影そのものだ。
似たような話、去年の2月のブログ地球と月の関係にも生命の樹の話を用いて書いた。
セフィロトでは、マルクト=地球が隣接しているのは、イエソド=月しかないので、イエソド=月を理解する以外に、マルクト=地球=私を理解する方法がないということがわかる。
つまり、鏡がないとまったく自分を見ることができないように、月を通して、地球=私を理解するしかないということだ。
月は、地球から分離した地球のかけらと考えられることもあり、「夢が造られるような材料」というカバラの解釈は実に面白い。
夢=理想の未来は、太陽の持つ象徴である。
その夢の材料を持っているのが月というは、なるほど納得だ。
月をリアルに感じられれば、太陽もよりリアルになるということだ。
そして、太陽の力が強ければ、月の反射による輝きもより強くなる。
自分を照らす力と、自分を反射させる力は比例する。
いずれにしても、ジオセントリックな視点では、太陽と月の光は”私”そのものということになる。
うじゃうじゃ書いたけど、天体観測は興味が尽きない。
なぜなら、天体そのものをしっかり観測することで、象徴の意味がより現実感覚を増すからだ。
円谷企画のnicosmic journyでは、そんな体験も味わってもらいたいと思っています。
これからもお楽しみに!
これは、天体望遠鏡のレンズにiphoneのレンズをあてて撮った写真。
ここに強烈なまぶしさと輝きが加わらないと、あの感動は伝わらないね。

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