夏至以降、何か流れが変わったと感じる。
みな一様に、強いエネルギーを発している。
恐れなのか不安なのか。
はたまた、純粋無垢な欲求なのか。
nicoPLANETで池内さんが書いてくれた夏至の記事
表層のものたちはやがて形をなくしたり、変わってしまうかもしれないが、水源から湧き出る泉は濾過(浄化)されていて、普遍的かつ枯れることがない。夏至の「その時」には水源へのゲートが開き、湧き出る泉にチューニングする力が高まる。カオスの中ですくい上げるものは、社会での自己実現を支えるゆるぎない根になるはず。
力強い文章ですね。
この強い太陽に打ち勝つためには、池内さんが書いてくれているように、自分の内に水源を見つけ、”水”をみなぎらせ、”枯渇しない私”を作る必要がある。
それには、陰陽のバランスをとることだ。
昼間=表の太陽の活動に嘘偽りがなければ、夜=裏の月の状態も不安定になることもない。
太陽は、私にとって正直に生きているのかどうか。
この日は、そんなことを大いに考えさせられた夏至の日となった。
4日目、夏至の日のスタートはワークから。
初日から毎朝、メモ書き&瞑想の組み合わせでいろいろワークやってもらった。
旅行中、新しい体験を積み重ねるごとに自分自身に対する発見も増えていく。
月と太陽のバランスを考えるというのもやってみる。
この日は朝からバチカン。
旅も後半。
疲れも出てくると、自分のよいとこ悪いとこ、無防備になりいろいろ顔を出し始めてくるね~
私の場合は、「尋常じゃないおっちょこちょいぶり」がいよいよ登場。
いろいろありました…
まずはサン・ピエトロ大聖堂のピエタから。
ピエタ像は2回目。
ミケランジェロの代表的な彫刻だが、キリストの亡骸を膝に抱くマリア様の顔が美しすぎる。
実は私、あまりバチカンが得意じゃなくて、支配的な力がなんとも苦手で、いつもなんだか場違いの感じがしてしまうのだけど、このピエタは別でミケランジェロの深い信仰心とともに、6歳で母を亡くした彼の母性に対する純粋な思慕が見え隠れし、個人的な想いに心を揺さぶられる。
が、迫力ありすぎの壁画、天井画、歴代の法王の彫刻などに案の定、食傷してしまい、肩幅くらいの細いらせん階段をひたすら上ってローマを一望したときは、その解放感にほっとしつつ、結局、自分の大切なものは自由なのかもしれないとしみじみ思ったりした。
それから、私と麻美ちゃんは別行動。
なんと!
テルミニ駅のビクトリアシークレット前でオイリュトミスト寺崎先生と待ち合わせ!
寺崎先生はオイリュトミーのワークショップのため、こちらに2週間ほど滞在中。
本当に奇遇です。
ローマでイタリア料理&昼からビールでご機嫌にオイリュトミー談義。
9月の大阪オイリュトミーワークショップに向けた打ち合わせもしたりして、一瞬、ローマではなく小平にいるような気になったりして。

オイリュトミーは動きの中で空間を生み出すという作業をやるのだけれど、寺崎先生によると、イタリア人は存在が明るく開けているので、空間を大きく生むのもとても上手なのだとか。
やっぱり、日本人は閉じているねと言っていた。
そうだろうなあ。
夜、オペラ座に椿姫を観に行ったけど、大人たちがみんな素敵なのよ。
大のオペラファンみたいな人たちが多く、その6割が男性で、幕間(1時間)になるとワイングラス片手に、薄明るい夜の空の下、にぎやかにオペラ談義とかしている。
ローマに来て思ったけれど、大人の男性が楽しそうにしている姿をよく見かけた。
男同士でジェラート食ったり、話に花を咲かせたり。
女の人たちも本当にきれい。
スマホに夢中になっている人はどこにもいなくて、みんなおしゃべりやら食事やらに夢中だ。
日本に帰ったら少し生活を見直そう、そんなこともぽつぽつ考えた夏至の日だった。
寺崎先生、ワークショップ&公演の控えた忙しい時間をありがとうございました。
午後のゆったりとしたひと時を過ごすことができて楽しかったです。
また日本で!
そうそう、途中でパンテオンにも行ったっけ。
ここはまさにローマ観光の中心地。
にぎやかで楽し気な雰囲気が隅々まで行き渡っている。
初代のパンテオンは、紀元前25年に建造されたのだけど火事で焼失してしまった。
現存しているのは2代目のパンテオン。
118年から128年にかけて作られたもの。
画家のラファエロの墓もここにあるのだそう。
たくさんの観光客が訪れているにもかかわらず、その古さゆえか歴史の中に沈んだ静けさがあり、ここにいるだけで気持ちがいい。
が、しかし…
ご機嫌に使っていた自撮り棒もここまで。
スマホを落として画面がクラッシュしたため、インカメラが使えなくなった…
とほほ…
みな一様に、強いエネルギーを発している。
恐れなのか不安なのか。
はたまた、純粋無垢な欲求なのか。
nicoPLANETで池内さんが書いてくれた夏至の記事
表層のものたちはやがて形をなくしたり、変わってしまうかもしれないが、水源から湧き出る泉は濾過(浄化)されていて、普遍的かつ枯れることがない。夏至の「その時」には水源へのゲートが開き、湧き出る泉にチューニングする力が高まる。カオスの中ですくい上げるものは、社会での自己実現を支えるゆるぎない根になるはず。
力強い文章ですね。
この強い太陽に打ち勝つためには、池内さんが書いてくれているように、自分の内に水源を見つけ、”水”をみなぎらせ、”枯渇しない私”を作る必要がある。
それには、陰陽のバランスをとることだ。
昼間=表の太陽の活動に嘘偽りがなければ、夜=裏の月の状態も不安定になることもない。
太陽は、私にとって正直に生きているのかどうか。
この日は、そんなことを大いに考えさせられた夏至の日となった。
4日目、夏至の日のスタートはワークから。
初日から毎朝、メモ書き&瞑想の組み合わせでいろいろワークやってもらった。
旅行中、新しい体験を積み重ねるごとに自分自身に対する発見も増えていく。
月と太陽のバランスを考えるというのもやってみる。
この日は朝からバチカン。
旅も後半。
疲れも出てくると、自分のよいとこ悪いとこ、無防備になりいろいろ顔を出し始めてくるね~
私の場合は、「尋常じゃないおっちょこちょいぶり」がいよいよ登場。
いろいろありました…
まずはサン・ピエトロ大聖堂のピエタから。

ミケランジェロの代表的な彫刻だが、キリストの亡骸を膝に抱くマリア様の顔が美しすぎる。
実は私、あまりバチカンが得意じゃなくて、支配的な力がなんとも苦手で、いつもなんだか場違いの感じがしてしまうのだけど、このピエタは別でミケランジェロの深い信仰心とともに、6歳で母を亡くした彼の母性に対する純粋な思慕が見え隠れし、個人的な想いに心を揺さぶられる。
が、迫力ありすぎの壁画、天井画、歴代の法王の彫刻などに案の定、食傷してしまい、肩幅くらいの細いらせん階段をひたすら上ってローマを一望したときは、その解放感にほっとしつつ、結局、自分の大切なものは自由なのかもしれないとしみじみ思ったりした。

それから、私と麻美ちゃんは別行動。
なんと!
テルミニ駅のビクトリアシークレット前でオイリュトミスト寺崎先生と待ち合わせ!
寺崎先生はオイリュトミーのワークショップのため、こちらに2週間ほど滞在中。
本当に奇遇です。
ローマでイタリア料理&昼からビールでご機嫌にオイリュトミー談義。
9月の大阪オイリュトミーワークショップに向けた打ち合わせもしたりして、一瞬、ローマではなく小平にいるような気になったりして。

オイリュトミーは動きの中で空間を生み出すという作業をやるのだけれど、寺崎先生によると、イタリア人は存在が明るく開けているので、空間を大きく生むのもとても上手なのだとか。
やっぱり、日本人は閉じているねと言っていた。
そうだろうなあ。
夜、オペラ座に椿姫を観に行ったけど、大人たちがみんな素敵なのよ。
大のオペラファンみたいな人たちが多く、その6割が男性で、幕間(1時間)になるとワイングラス片手に、薄明るい夜の空の下、にぎやかにオペラ談義とかしている。
ローマに来て思ったけれど、大人の男性が楽しそうにしている姿をよく見かけた。
男同士でジェラート食ったり、話に花を咲かせたり。
女の人たちも本当にきれい。
スマホに夢中になっている人はどこにもいなくて、みんなおしゃべりやら食事やらに夢中だ。
日本に帰ったら少し生活を見直そう、そんなこともぽつぽつ考えた夏至の日だった。
寺崎先生、ワークショップ&公演の控えた忙しい時間をありがとうございました。
午後のゆったりとしたひと時を過ごすことができて楽しかったです。
また日本で!

ここはまさにローマ観光の中心地。
にぎやかで楽し気な雰囲気が隅々まで行き渡っている。
初代のパンテオンは、紀元前25年に建造されたのだけど火事で焼失してしまった。
現存しているのは2代目のパンテオン。
118年から128年にかけて作られたもの。
画家のラファエロの墓もここにあるのだそう。
たくさんの観光客が訪れているにもかかわらず、その古さゆえか歴史の中に沈んだ静けさがあり、ここにいるだけで気持ちがいい。
が、しかし…
ご機嫌に使っていた自撮り棒もここまで。
スマホを落として画面がクラッシュしたため、インカメラが使えなくなった…
とほほ…
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