その前に。
天命を生きるとはこういうことなのかもしれないなと、ジャニー喜多川氏のチャートを見て思う。
自分の感性(美的センス、時代心理を読む力はもちろん、他者の才能を見抜き、それを価値あるものに育てていく力などなど)で王国を築き上げていった、そんな感じだろうか(火星、冥王星、そういえば秋元康持っているね)。
そして、これだけトランジットの影響を体現しているということは、時代とともに生きていた人だということもよくわかる。
経済人しかり、政治家しかり、そのような「時の人」の場合、時代が”世代交代”なり”システム変化”なり”新しい父性”を求めてくれば、やはりその影響から逃れることは難しい。
これだけ長く生きていれば、これまであの手この手で様々な影響を乗り切ってきただろうが、冥王星ハーフリターンはさすがに一時代の折り返しではある。
あとは良きものであれ、悪しきものであれ、遺されたもの、遺産がどのように受け継がれるか。
それが冥王星の今後の動き、余波となる。
けれど、私としては、SMAP解散の速報が流れた2016年1月13日、トランジットの天王星がパータイルでネイタルチャートの天王星にリターンしていたタイミングが彼の中の大きな切り替えの時期となったのではないかと考える。
彼にとって、それがどれほどのインパクトであったか!
長く生きた方のチャートから学ばせてもらえることがたくさんありますね。
ご冥福をお祈りします。
ということで本題。
あらゆるホロスコーを実践的に読む。
ホロスコープに示されている象徴をすべて言葉にできるようにする。
ホロスコープの持ち主の人生に即した象徴をすくいあげる。
過去の出来事、今の状態、これからの未来の可能性、様々な視点を当ててホロスコープをリーディングする。
熟練すれば、上記に書いたようなことは「できるようになった」と多少でも実感できるようになるだろう。
それには本当に時間がかかる。
私が占星術の学習者だったとき、何人もの人たちが実践読みの段階で挫折し、離れていくのを見てきた。
途中で興味をなくす人ももちろんいる。
人生において、なにかしら目的が見いだせなければ続けていく理由などないからだ。
やる気を失ったり、また情熱を取り戻したり、一進一退で進んでいく人もいる。
占星術なんて勉強して何になるのか。
そんな疑問をぶつけられた時もある。
長く教えていると、いろいろな人たちの学ぶ姿勢を見ることになる。
集中して勉強してあっという間に自分のものにしていく人もいれば、いつでもニコニコ楽しそうに学んでくれる人、苦しい、苦しいと吐露しながらも、頑張って食いついてくる人もいる。
全然できなかった人が急に頭角を現し、周囲をあっと言わせることもあるし、ある日突然、自信を失う人もいる。
知識、努力は武器になる。
だから、できる限りのサポートをしたいと思うが、学び続けていくにはどうしても本人の情熱、好奇心、目的意識は不可欠となる。
けれど、いつも思うことがある。
子供のときと違って、大人は自分の住み慣れた環境にとどまり、やり慣れたことをやり、心地よい人たちと過ごしがちになるので、ときには人生の中に「うまくできないこと」「思い通りにいかないこと」を取り入れ、苛立ちとともに、うまくいかない自分を楽しみ、息長く学び続ける姿勢を持ってもいい気がする。
講座でも話していますが、人生がマンネリになってくると
そういう私も、週に一回、神智学者のルドルフ・シュタイナーが考案したオイリュトミーというダンスをやっているのだけれど、習い始めて6年も経とうというのに、笑っちゃうくらいに大した成長もないまま、毎回、ふーふーやりながらなんとか続けている。
美しい詩や美しい生ピアノで踊る贅沢を毎回かみしめつつ、身体が思ったように動かない、踊りを覚えられないことの歯がゆさからは逃れられない。
自分の手が人のものに感じるくらい、ぜんぜん言うことを聞いてくれない。
人と違う動きをして「nicoさん、左回りですよ」と指摘され、恥ずかしまぎれに「またバミューダトライアングルにはまった!」とうそぶいたりもする。
ベテランの方やダンサーの方に囲まれ、まったくカッコ悪い姿ばかり。
でも、下手の横好き。
こうして負けじと週に一回、「できないこと」に向き合うことで、ときに挫折感を覚えながらも、できることが少しずつ増えていることを喜び、謙虚に学び続けていくことの大切さをかみしめることができている。
頭皮の毛穴が全開になるほど苦しむこともあるのだけど、オイリュトミーの持つ神秘に少しでも近づけるよう、なんとか機嫌よく続けてみている。
間違いなく言えるのは、占星術は身につけておいて決して損はない学問だということ。
日曜日の基礎講座でも、「視野が広がった」「見ている世界が変わった」という声を聴かせてもらいましたが、本当にそう。
占星術を学ぶことで世界のとらえ方がより豊かに、より柔軟になり、占星術の理解とともに世界が面白くなっていくのを感じられるようになるはずです。
なので、できれば「できないこと」を不安に思うのではなく、「できないこと」を理由もよくわからず「続けている」ことに未来の可能性があることを感じつつ、できればその理由を明らかにし、そしてそれはおそらく「下手の横好き」であるはずだから、そこに納得し、それならばと腰を据えて、ゆったりと学びを続けてもらえたらと思う。
天命を生きるとはこういうことなのかもしれないなと、ジャニー喜多川氏のチャートを見て思う。
自分の感性(美的センス、時代心理を読む力はもちろん、他者の才能を見抜き、それを価値あるものに育てていく力などなど)で王国を築き上げていった、そんな感じだろうか(火星、冥王星、そういえば秋元康持っているね)。
そして、これだけトランジットの影響を体現しているということは、時代とともに生きていた人だということもよくわかる。
経済人しかり、政治家しかり、そのような「時の人」の場合、時代が”世代交代”なり”システム変化”なり”新しい父性”を求めてくれば、やはりその影響から逃れることは難しい。
これだけ長く生きていれば、これまであの手この手で様々な影響を乗り切ってきただろうが、冥王星ハーフリターンはさすがに一時代の折り返しではある。
あとは良きものであれ、悪しきものであれ、遺されたもの、遺産がどのように受け継がれるか。
それが冥王星の今後の動き、余波となる。
けれど、私としては、SMAP解散の速報が流れた2016年1月13日、トランジットの天王星がパータイルでネイタルチャートの天王星にリターンしていたタイミングが彼の中の大きな切り替えの時期となったのではないかと考える。
彼にとって、それがどれほどのインパクトであったか!
長く生きた方のチャートから学ばせてもらえることがたくさんありますね。
ご冥福をお祈りします。
ということで本題。
あらゆるホロスコーを実践的に読む。
ホロスコープに示されている象徴をすべて言葉にできるようにする。
ホロスコープの持ち主の人生に即した象徴をすくいあげる。
過去の出来事、今の状態、これからの未来の可能性、様々な視点を当ててホロスコープをリーディングする。
熟練すれば、上記に書いたようなことは「できるようになった」と多少でも実感できるようになるだろう。
それには本当に時間がかかる。
私が占星術の学習者だったとき、何人もの人たちが実践読みの段階で挫折し、離れていくのを見てきた。
途中で興味をなくす人ももちろんいる。
人生において、なにかしら目的が見いだせなければ続けていく理由などないからだ。
やる気を失ったり、また情熱を取り戻したり、一進一退で進んでいく人もいる。
占星術なんて勉強して何になるのか。
そんな疑問をぶつけられた時もある。
長く教えていると、いろいろな人たちの学ぶ姿勢を見ることになる。
集中して勉強してあっという間に自分のものにしていく人もいれば、いつでもニコニコ楽しそうに学んでくれる人、苦しい、苦しいと吐露しながらも、頑張って食いついてくる人もいる。
全然できなかった人が急に頭角を現し、周囲をあっと言わせることもあるし、ある日突然、自信を失う人もいる。
知識、努力は武器になる。
だから、できる限りのサポートをしたいと思うが、学び続けていくにはどうしても本人の情熱、好奇心、目的意識は不可欠となる。
けれど、いつも思うことがある。
子供のときと違って、大人は自分の住み慣れた環境にとどまり、やり慣れたことをやり、心地よい人たちと過ごしがちになるので、ときには人生の中に「うまくできないこと」「思い通りにいかないこと」を取り入れ、苛立ちとともに、うまくいかない自分を楽しみ、息長く学び続ける姿勢を持ってもいい気がする。
講座でも話していますが、人生がマンネリになってくると
そういう私も、週に一回、神智学者のルドルフ・シュタイナーが考案したオイリュトミーというダンスをやっているのだけれど、習い始めて6年も経とうというのに、笑っちゃうくらいに大した成長もないまま、毎回、ふーふーやりながらなんとか続けている。
美しい詩や美しい生ピアノで踊る贅沢を毎回かみしめつつ、身体が思ったように動かない、踊りを覚えられないことの歯がゆさからは逃れられない。
自分の手が人のものに感じるくらい、ぜんぜん言うことを聞いてくれない。
人と違う動きをして「nicoさん、左回りですよ」と指摘され、恥ずかしまぎれに「またバミューダトライアングルにはまった!」とうそぶいたりもする。
ベテランの方やダンサーの方に囲まれ、まったくカッコ悪い姿ばかり。
でも、下手の横好き。
こうして負けじと週に一回、「できないこと」に向き合うことで、ときに挫折感を覚えながらも、できることが少しずつ増えていることを喜び、謙虚に学び続けていくことの大切さをかみしめることができている。
頭皮の毛穴が全開になるほど苦しむこともあるのだけど、オイリュトミーの持つ神秘に少しでも近づけるよう、なんとか機嫌よく続けてみている。
間違いなく言えるのは、占星術は身につけておいて決して損はない学問だということ。
日曜日の基礎講座でも、「視野が広がった」「見ている世界が変わった」という声を聴かせてもらいましたが、本当にそう。
占星術を学ぶことで世界のとらえ方がより豊かに、より柔軟になり、占星術の理解とともに世界が面白くなっていくのを感じられるようになるはずです。
なので、できれば「できないこと」を不安に思うのではなく、「できないこと」を理由もよくわからず「続けている」ことに未来の可能性があることを感じつつ、できればその理由を明らかにし、そしてそれはおそらく「下手の横好き」であるはずだから、そこに納得し、それならばと腰を据えて、ゆったりと学びを続けてもらえたらと思う。
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