占星術の解釈において、天王星・木星のコンタクトが表題に書いてあるようなことを象徴するとしたら、今日、発表されたいくつかのニュースは、私にはとても意味がある。
今日、伊藤詩織さんが民事裁判で勝訴した。
事件が起こったのは2015年。
刑事事件で不起訴となった後、民事裁判まで持ち込んだ結果の勝訴。
Me too運動の流れもあり、BBCが伊藤さんのドキュメンタリー「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」を放送するなど世界的にも注目されたわけだけれど、本当に長い闘いだったと思う。
ネットでは「ハニートラップだ」「枕営業だ」なんだとさんざんの書かれようだったが、女性が男性/社会を相手に性的被害者であると訴えることがどんなに恐ろしいことか!
男社会で生きていかねばならない身で、自分は「弱者である」と認める発言をすることの心もとなさ。
それを公にすることが自分にとってどれだけリスクがあるか、仕事をする女性なら誰でもそんなことはわかっている。
偶然にも、Me too運動の発端になった映画プロデューサー・ワインスタインのセクハラ事件も2015年に告発されたわけだけれど、そのときも今日と同じように、チャート上に木星・天王星のコンタクトが配置されている。
新しい意識の目覚めへの運動とその結実が示されているのだとしたら、何か意味があるのだろうと思う。
2017年6月には、11年ぶりと言われる性犯罪に関する改正刑法が国会で成立し、2020年にさらなる刑法の改正の見直しが予定されている。
木星・天王星のコンタクトで出た結果、もしくは牡羊座・天王星ー獅子座・木星からはじまった問題が、牡牛座・天王星ー山羊座・木星で一つの着地を見せたことに、何か意味を見出すのだとしたら、今回の事件のどちらが正しくて、どちらが間違っているかどうかが問題なのではなくて、この結果が新しい未来をつくっていくということ。
夏至のチャートで顕著に表れていた「父性の崩壊」ではないけれど、長く守られてきた状態が別の状態へと移行する時期に入ったということは理解できるだろう。
伊藤詩織さんの結果を期に、というか彼女の長い闘いに刺激を受けたかたちで、私も見直したいテーマがいくつか出てきた。
生きていくための場づくりを人に任せないためにも、今一度、勇気を持ちたいと思う。
また、今日もう一つ、私の中で意識に刺激が当たったニュースがあった。
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の中止の経緯の最終報告が公表されたのだが、その報告は以下だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
個人の解釈によるSNS投稿は、作品の意図とは無関係な、美術に関心のない人々を巻き込み、個人の思想・心情を訴えるめに利用された。
このような事態が起きたのは、日本社会の分断と格差が進行した結果とも言え、その可視化につながったとも言える。
社会の変容に鑑み、展示の企画内容や展示手法については今後とも留意すべきだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「社会の分断」、つまり社会共通の理解が希薄であるという問題提起。
イベントが成功だったか、失敗だったか、その判断は私たちには必要ない。
11番目のカード「正義」ではないけれど、それを判断する「TORA=ユダヤの立法書」の解釈が違えば、正義を切り分ける判断も変わってくる(もっと言えば、TORAはアナグラムになっている。並び替えれば、様々な意味になる。つまり、解釈次第でどうとでもなるということだ)。
右なのか左なのか、
多くの人たちを炎上させる材料がそろったのか、
炎上するためのスケープゴートにされたのか、
何はともあれ、芸術の顔を借りたなんかであったとして、中止させられるだけの材料がそろったこと。
そういった民意が動いたこと。
その気づきのための機会だったことだけでも、再考の余地があるということだ。
つまり、木星、天王星は、新しい価値づくりのための「再考(水星のオポジションとして)の余地」をつくり機会だと考えていいだろう。
これを機会に私も再考の余地があるものを放っておかず、今一度、自分なりの法改正をしてみようと思う。
水瓶座土星に向けて、新しい価値のための再考。
2015年から続いた流れがあるのかどうか。
古い「正義」や古い「当たり前」を見直し、新しい風を向かい入れる余地はあるかどうか。
多少痛みはあっても、自分の「TORA」に正直に生きていくための法改正をしてみたいと思う。
今日、伊藤詩織さんが民事裁判で勝訴した。
事件が起こったのは2015年。
刑事事件で不起訴となった後、民事裁判まで持ち込んだ結果の勝訴。
Me too運動の流れもあり、BBCが伊藤さんのドキュメンタリー「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」を放送するなど世界的にも注目されたわけだけれど、本当に長い闘いだったと思う。
ネットでは「ハニートラップだ」「枕営業だ」なんだとさんざんの書かれようだったが、女性が男性/社会を相手に性的被害者であると訴えることがどんなに恐ろしいことか!
男社会で生きていかねばならない身で、自分は「弱者である」と認める発言をすることの心もとなさ。
それを公にすることが自分にとってどれだけリスクがあるか、仕事をする女性なら誰でもそんなことはわかっている。
偶然にも、Me too運動の発端になった映画プロデューサー・ワインスタインのセクハラ事件も2015年に告発されたわけだけれど、そのときも今日と同じように、チャート上に木星・天王星のコンタクトが配置されている。
新しい意識の目覚めへの運動とその結実が示されているのだとしたら、何か意味があるのだろうと思う。
2017年6月には、11年ぶりと言われる性犯罪に関する改正刑法が国会で成立し、2020年にさらなる刑法の改正の見直しが予定されている。
木星・天王星のコンタクトで出た結果、もしくは牡羊座・天王星ー獅子座・木星からはじまった問題が、牡牛座・天王星ー山羊座・木星で一つの着地を見せたことに、何か意味を見出すのだとしたら、今回の事件のどちらが正しくて、どちらが間違っているかどうかが問題なのではなくて、この結果が新しい未来をつくっていくということ。
夏至のチャートで顕著に表れていた「父性の崩壊」ではないけれど、長く守られてきた状態が別の状態へと移行する時期に入ったということは理解できるだろう。
伊藤詩織さんの結果を期に、というか彼女の長い闘いに刺激を受けたかたちで、私も見直したいテーマがいくつか出てきた。
生きていくための場づくりを人に任せないためにも、今一度、勇気を持ちたいと思う。
また、今日もう一つ、私の中で意識に刺激が当たったニュースがあった。
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の中止の経緯の最終報告が公表されたのだが、その報告は以下だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
個人の解釈によるSNS投稿は、作品の意図とは無関係な、美術に関心のない人々を巻き込み、個人の思想・心情を訴えるめに利用された。
このような事態が起きたのは、日本社会の分断と格差が進行した結果とも言え、その可視化につながったとも言える。
社会の変容に鑑み、展示の企画内容や展示手法については今後とも留意すべきだ。
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「社会の分断」、つまり社会共通の理解が希薄であるという問題提起。
イベントが成功だったか、失敗だったか、その判断は私たちには必要ない。
11番目のカード「正義」ではないけれど、それを判断する「TORA=ユダヤの立法書」の解釈が違えば、正義を切り分ける判断も変わってくる(もっと言えば、TORAはアナグラムになっている。並び替えれば、様々な意味になる。つまり、解釈次第でどうとでもなるということだ)。
右なのか左なのか、
多くの人たちを炎上させる材料がそろったのか、
炎上するためのスケープゴートにされたのか、
何はともあれ、芸術の顔を借りたなんかであったとして、中止させられるだけの材料がそろったこと。
そういった民意が動いたこと。
その気づきのための機会だったことだけでも、再考の余地があるということだ。
つまり、木星、天王星は、新しい価値づくりのための「再考(水星のオポジションとして)の余地」をつくり機会だと考えていいだろう。
これを機会に私も再考の余地があるものを放っておかず、今一度、自分なりの法改正をしてみようと思う。
水瓶座土星に向けて、新しい価値のための再考。
2015年から続いた流れがあるのかどうか。
古い「正義」や古い「当たり前」を見直し、新しい風を向かい入れる余地はあるかどうか。
多少痛みはあっても、自分の「TORA」に正直に生きていくための法改正をしてみたいと思う。
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