先日行ったアドラー早期回想ワークショップは、私にとって意識がクリアになる時間となりました。
参加者のDさんが、「nicoさんが、なぜあのようにチャートを読むことができるのかがわかったような気がする」と言ってくれたのもハッとする気づきでしたし、また人が生きづらさを感じる理由、そのヒントをもらったように感じる瞬間が何度もありました。
また、「話の聴く方」というのを皆さんに体験してもらうこともできました。
そうか、そうか、確かにアドラーの早期回想によって身についた技術はたくさんある。
話を能動的に聴くという訓練、
ライフスタイル=信念体系を探り当てるということ、
こだわっているライフスタイルからこぼれ落ちた、生きてこなかった人生の物語を発見するということ、
気づきを与えること、
オルタナティブストーリーを考え、ナラティブ=再著述し、自分の人生に再び登場させること、
こういった作業は、確かにアドラー早期回想のワークでふんだんに使っているかもしれない。
そして、「こだわっているライフスタイルからこぼれ落ちた、生きてこなかった人生の物語を発見するということ」
ここの部分を特に大切にしているかもしれません。
つまり、ここが人が生きづらさを感じる理由ということになります。
先日も、20分のグループワークののち、3名の方の早期回想ワークをやらせていただきましたが、3人の共通項として、なぜ人は本当に大事にすべきことを簡単に手放してしまう、または後回しにしてしまうのだろうということでした。
親、兄弟、周囲の人たちのニーズに応えるばかりで、なぜか自分の大切なものを軽んじてしまう。
それがプライドなのか、宝物なのか、自由なのか。
もっと人は自己中心的に生きてもいいはずなのに、必要以上に承認を求め、欲求をわきに置き、自分の人生を後回しにする。
もう大人なんだから、もっと好きに生きればいいのに、なぜいまだに自分で編集した記憶でさえ、人の目を気にしたり、大事なものをチラ見せだけするような記憶になってしまうのだろうか。
昨日、早期回想をやらせてもらったYさんの感想が印象的でした。
最初は何を言われているのかわからくてぽかんとしてしまう。
それから少しずつ、あれ?あれ?という意識が生まれ、そして最後にあーなるほど!となる。
時期読みの冥王星体験のところで、キューブラ・ロスの受容の5段階の話をすることがありますが、まさにナラティブ気づきにもそのようなプロセスがあるのかもしれません。
オルタナティブストーリー=新しいストーリーを語るというのは、確かに簡単ではないかもしれません。
今までの自分の努力をふいにしてしまう、守ってきたものを手放してしまう、そんな恐れがあるわけです。
キューブラ・ロスではないですが、新しい物語を前に否認もあれば、怒りを感じることもあるかもしれません。
が、それでもアドラーの早期回想――たった1,2分のショートストーリー――の中に、ライフスタイルと生きてこなかった人生の物語を発見することができたら、やっぱりこれは勇気を出してみる価値がある、私はそのように信じています。
あーそうか!
このスカッとした気づきは、確かに他のワークから感じたことはないかもしれないですね。
また、今回は聴く技術として、語ることを軽んじている物語を聴くというのをやりました。
たった1,2分の中に語り方の強弱がある、語ることを怖れ、防衛が働いている様子、それを考える訓練も大事な要素であることがわかりました。
ワーク中にもお話ししましたが、現場ではそう簡単にはいかないことも多いです。
相手のエネルギーに引っ張られると、何が語られ過ぎ、何が語られなさ過ぎているのか気づけないことも多いのです。
でも、これも練習あるのみ!
次回はいよいよ3回目のワークになります。
3回目まで来ると、皆さんも少しずつコツがつかめてきているのではないかな。
次回も同じようにグループワークから始めて、意見を交流しながら、アドラー早期回想&ホロスコープ分析を深めていきたいと思っています。
日にちは追って連絡します!
皆さんの早期回想のエピソードをシェアしていただきありがとうございます。
私の中で大切に聞き届けました。
残りの方の早期回想もどうぞよろしくお願いします。
nico
参加者のDさんが、「nicoさんが、なぜあのようにチャートを読むことができるのかがわかったような気がする」と言ってくれたのもハッとする気づきでしたし、また人が生きづらさを感じる理由、そのヒントをもらったように感じる瞬間が何度もありました。
また、「話の聴く方」というのを皆さんに体験してもらうこともできました。
そうか、そうか、確かにアドラーの早期回想によって身についた技術はたくさんある。
話を能動的に聴くという訓練、
ライフスタイル=信念体系を探り当てるということ、
こだわっているライフスタイルからこぼれ落ちた、生きてこなかった人生の物語を発見するということ、
気づきを与えること、
オルタナティブストーリーを考え、ナラティブ=再著述し、自分の人生に再び登場させること、
こういった作業は、確かにアドラー早期回想のワークでふんだんに使っているかもしれない。
そして、「こだわっているライフスタイルからこぼれ落ちた、生きてこなかった人生の物語を発見するということ」
ここの部分を特に大切にしているかもしれません。
つまり、ここが人が生きづらさを感じる理由ということになります。
先日も、20分のグループワークののち、3名の方の早期回想ワークをやらせていただきましたが、3人の共通項として、なぜ人は本当に大事にすべきことを簡単に手放してしまう、または後回しにしてしまうのだろうということでした。
親、兄弟、周囲の人たちのニーズに応えるばかりで、なぜか自分の大切なものを軽んじてしまう。
それがプライドなのか、宝物なのか、自由なのか。
もっと人は自己中心的に生きてもいいはずなのに、必要以上に承認を求め、欲求をわきに置き、自分の人生を後回しにする。
もう大人なんだから、もっと好きに生きればいいのに、なぜいまだに自分で編集した記憶でさえ、人の目を気にしたり、大事なものをチラ見せだけするような記憶になってしまうのだろうか。
昨日、早期回想をやらせてもらったYさんの感想が印象的でした。
最初は何を言われているのかわからくてぽかんとしてしまう。
それから少しずつ、あれ?あれ?という意識が生まれ、そして最後にあーなるほど!となる。
時期読みの冥王星体験のところで、キューブラ・ロスの受容の5段階の話をすることがありますが、まさにナラティブ気づきにもそのようなプロセスがあるのかもしれません。
オルタナティブストーリー=新しいストーリーを語るというのは、確かに簡単ではないかもしれません。
今までの自分の努力をふいにしてしまう、守ってきたものを手放してしまう、そんな恐れがあるわけです。
キューブラ・ロスではないですが、新しい物語を前に否認もあれば、怒りを感じることもあるかもしれません。
が、それでもアドラーの早期回想――たった1,2分のショートストーリー――の中に、ライフスタイルと生きてこなかった人生の物語を発見することができたら、やっぱりこれは勇気を出してみる価値がある、私はそのように信じています。
あーそうか!
このスカッとした気づきは、確かに他のワークから感じたことはないかもしれないですね。
また、今回は聴く技術として、語ることを軽んじている物語を聴くというのをやりました。
たった1,2分の中に語り方の強弱がある、語ることを怖れ、防衛が働いている様子、それを考える訓練も大事な要素であることがわかりました。
ワーク中にもお話ししましたが、現場ではそう簡単にはいかないことも多いです。
相手のエネルギーに引っ張られると、何が語られ過ぎ、何が語られなさ過ぎているのか気づけないことも多いのです。
でも、これも練習あるのみ!
次回はいよいよ3回目のワークになります。
3回目まで来ると、皆さんも少しずつコツがつかめてきているのではないかな。
次回も同じようにグループワークから始めて、意見を交流しながら、アドラー早期回想&ホロスコープ分析を深めていきたいと思っています。
日にちは追って連絡します!
皆さんの早期回想のエピソードをシェアしていただきありがとうございます。
私の中で大切に聞き届けました。
残りの方の早期回想もどうぞよろしくお願いします。
nico
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