いつも使っている小平市の公民館が3/15まで休館ということで、オイリュトミーもしばしお休み。
昨夜、ピアニストさんの伴奏で「悲愴」や「月の光」のオイリュトミーフォルムを動きながら、これまで当たり前のように触れ合ってきた日常の、そのかけがえのなさについて思いをめぐらせていた。
一瞬、一瞬が貴重な時間だった。
311のときも痛烈にそう思ったはずなのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるものだ。
今、また改めて、日々の暮らしを支えてくれていたものの大きさを感じ始めている。
皆さんは、どのように今この時を過ごしているのでしょうか。
コロナウィルスをめぐる一連の流れを見ていても、今のトランジット図のテーマが随所随所に示されていて、とても興味深い。
起こることは起こる。
それは避けようがない。
それに対し、どのような態度で臨むか。
それが講座でよく紹介する、「夜と霧」の著者ヴィクトール・E・フランクル博士の「態度価値」というものである。
「態度価値」とは、運命を受け止める態度によって実現される価値のこと。
病や貧困、天災など避けられない出来事が身に降りかかったとき、それを受け止める態度を選択する自由が人間には与えれれているという考え方。
フランクル博士は、人間が最後まで実現しうる価値として「態度価値」を重視した。
「運命を受け止める態度」は、12番目のカード「吊るされた男」の意味とともに、魚座=海王星の重要なテーマである。
目の前に起こっている出来事をどのように受け入れるか、その姿勢でその人の魂の成長をはかるという意味だ。
それがネガティブな表現になると、ミラノの校長先生のメッセージにあるように、「目に見えない敵に脅かされた時、人間の本能は、あたかもそこらじゅうに敵がいるかのように感じさせ、私たちと同じ人々までもを脅威とみなしてしまう危険」を作り出すという方向に傾いてしまう。
これが、講座でよく言っている「月(蟹座)の裏側を、冥王星(蠍座)と海王星(魚座)が刺激する」ということになる。
「よくわからない」を前に、本能=月が防衛的態度をとってしまう。
そして、もともとあった脆弱さ(健康問題、収入問題、人間関係、差別、権力嫌悪などなど)が刺激され、恐怖のイメージとともに引き出されてしまうということだ。
これは悪いことではない。
今、感じているもろさ、不安、揺れは、今に始まったことではないはずだ。
普段、見て見ぬふりをしてきたことが、今、ここに来て、ようやく真剣に取り組まざるを得なくなったということなのだ。
今、自分は自分の中のどの脆弱さに刺激を受けているか。
国も企業もそして個人も、今こそ、そこを見つめる時なのだろう。
いずれにしても、脆弱さが刺激をされれば、人は自分に嘘はつけなくなる。
そのときに、人の信念、理想、そして態度価値が表出されるということだ。
もちろん、その逆もしかりだ。
もともとある、その人の美徳も引き出されることもある。
今、月の裏側にある隠れたどんな”素顔”が引き出されるか。
こういったときこそ、自分を知るのにふさわしいときだ。
もう一つ、太陽が魚座期(3/20)にいる間に、または魚座にデトリメント水星が運行している間(4/10)にやっておきたいことがある。
それは、焦点を先の未来にフォーカスするということ。
これも講座でよく話題にしている、魚座は遠視だから、あまり近視眼にならず、なるべく遠いところに焦点を合わせる必要があるという話。
今は、もちろん、日々情報が刻々と変わり、誰もが皆、現状に合わせて合理的な行動をとるべき時ではあるけれど、それと同時に、目前の近いところにばかり意識を向けていると、誰の、何のための行動なのかわからなくなって、視界がぼやけて、進む道が見えなくなる。
今は、できれば砂埃や物音を立てないように、遠い明りを目指して、鳥の声を聞きながら静かに歩く。
そしたら、きっと、ふと見るべきビジョンが見え、聞くべき歌が聞こえる。
そのタイミングを信じて、自分が価値を見出すことのできる理想的態度を決める。
今、もちろん私たちは生きるため、人々の暮らしを守るために注意深く過ごす必要がある。
けれど、弱く、もろく、デリケートになってはいけない。
弱さのもとになっているものを理解し、受け止め、そしてできる限りの解決を目指す。
そのときに、魚座のクリエイティビティが発揮されるだろう。
新しい可能性のための知性。
弱さを解決するために、私たちは今、何を生み出すことができるのだろうか。
そこに、どんな未来が見えるだろうか。
昨夜、ピアニストさんの伴奏で「悲愴」や「月の光」のオイリュトミーフォルムを動きながら、これまで当たり前のように触れ合ってきた日常の、そのかけがえのなさについて思いをめぐらせていた。
一瞬、一瞬が貴重な時間だった。
311のときも痛烈にそう思ったはずなのに、喉元過ぎれば熱さを忘れるものだ。
今、また改めて、日々の暮らしを支えてくれていたものの大きさを感じ始めている。
皆さんは、どのように今この時を過ごしているのでしょうか。
コロナウィルスをめぐる一連の流れを見ていても、今のトランジット図のテーマが随所随所に示されていて、とても興味深い。
起こることは起こる。
それは避けようがない。
それに対し、どのような態度で臨むか。
それが講座でよく紹介する、「夜と霧」の著者ヴィクトール・E・フランクル博士の「態度価値」というものである。
「態度価値」とは、運命を受け止める態度によって実現される価値のこと。
病や貧困、天災など避けられない出来事が身に降りかかったとき、それを受け止める態度を選択する自由が人間には与えれれているという考え方。
フランクル博士は、人間が最後まで実現しうる価値として「態度価値」を重視した。
「運命を受け止める態度」は、12番目のカード「吊るされた男」の意味とともに、魚座=海王星の重要なテーマである。
目の前に起こっている出来事をどのように受け入れるか、その姿勢でその人の魂の成長をはかるという意味だ。
それがネガティブな表現になると、ミラノの校長先生のメッセージにあるように、「目に見えない敵に脅かされた時、人間の本能は、あたかもそこらじゅうに敵がいるかのように感じさせ、私たちと同じ人々までもを脅威とみなしてしまう危険」を作り出すという方向に傾いてしまう。
これが、講座でよく言っている「月(蟹座)の裏側を、冥王星(蠍座)と海王星(魚座)が刺激する」ということになる。
「よくわからない」を前に、本能=月が防衛的態度をとってしまう。
そして、もともとあった脆弱さ(健康問題、収入問題、人間関係、差別、権力嫌悪などなど)が刺激され、恐怖のイメージとともに引き出されてしまうということだ。
これは悪いことではない。
今、感じているもろさ、不安、揺れは、今に始まったことではないはずだ。
普段、見て見ぬふりをしてきたことが、今、ここに来て、ようやく真剣に取り組まざるを得なくなったということなのだ。
今、自分は自分の中のどの脆弱さに刺激を受けているか。
国も企業もそして個人も、今こそ、そこを見つめる時なのだろう。
いずれにしても、脆弱さが刺激をされれば、人は自分に嘘はつけなくなる。
そのときに、人の信念、理想、そして態度価値が表出されるということだ。
もちろん、その逆もしかりだ。
もともとある、その人の美徳も引き出されることもある。
今、月の裏側にある隠れたどんな”素顔”が引き出されるか。
こういったときこそ、自分を知るのにふさわしいときだ。
もう一つ、太陽が魚座期(3/20)にいる間に、または魚座にデトリメント水星が運行している間(4/10)にやっておきたいことがある。
それは、焦点を先の未来にフォーカスするということ。
これも講座でよく話題にしている、魚座は遠視だから、あまり近視眼にならず、なるべく遠いところに焦点を合わせる必要があるという話。
今は、もちろん、日々情報が刻々と変わり、誰もが皆、現状に合わせて合理的な行動をとるべき時ではあるけれど、それと同時に、目前の近いところにばかり意識を向けていると、誰の、何のための行動なのかわからなくなって、視界がぼやけて、進む道が見えなくなる。
今は、できれば砂埃や物音を立てないように、遠い明りを目指して、鳥の声を聞きながら静かに歩く。
そしたら、きっと、ふと見るべきビジョンが見え、聞くべき歌が聞こえる。
そのタイミングを信じて、自分が価値を見出すことのできる理想的態度を決める。
今、もちろん私たちは生きるため、人々の暮らしを守るために注意深く過ごす必要がある。
けれど、弱く、もろく、デリケートになってはいけない。
弱さのもとになっているものを理解し、受け止め、そしてできる限りの解決を目指す。
そのときに、魚座のクリエイティビティが発揮されるだろう。
新しい可能性のための知性。
弱さを解決するために、私たちは今、何を生み出すことができるのだろうか。
そこに、どんな未来が見えるだろうか。
スポンサーサイト
| ホーム |