マラソンじゃないよ、ただのジョギング。
走るぞ、走るぞと心に誓い早1年。
ようやくジョギングシューズを買い、代々木公園を走ってみた。
実は私、学生時代6年間陸上部で、まあまあの選手だったのだけれど、膝の靭帯を切ったり、両足肉離れしたりと故障に悩まされてきたので、走ることにずっと不安を持っていた。
テニスやらスキーやら、足を酷使するとやっぱり古傷が痛む。
でも、やっぱり走ってみることにした。
ジョギングは前頭葉を刺激するので物忘れ防止になるとか、いろいろ理由はあるのだけど、走りたかった一番の理由は、最近のスポーツウエアがえらくスタイリッシュでかわいいから。
単純だね。
あと「家庭の医学」とか始めたら、何か体にいいことしてみたくなってさ。
今日は足慣らし程度。
春紅葉とか、桜のつぼみとかで気を紛らわせながらのジョギング。
あー疲れた。
多分、3日坊主だから、「ジョギングどう?」とか聞かないでね。
気が向いた時、ぽつぽつ走ってみるよ。
そういえば今日、石塚氏が「心理占星術って何ですか?」のブログに対し、感想を送ってくれた。
「けれど、難しいのはここからだ。ホロスコープを解読したら、そこからはクライアントとの共同作業しかない。
ここからは、もう占星術の知識はあまり役に立たないだろう」
ってとこに共感してくれたんだって。
実は、あの個所は「当てる占い」に対するアンチテーゼで、「当てて、じゃあその後どうすんのよ!」という疑問がいつも私の頭の中にあって、結局、その後の処理のほうが大変で、そこが中途半端だから、「結局、占いって皆に当てはまるようなことを適当に言ってんじゃないの?」みたいになっていくんじゃない?と思ってる。
石塚氏にも伝えたのだけど、私の今の課題は、ホロスコープを用いてどこまでクライアントを導くのかということ。
ホロスコープ読み講座では、「どこから、そんなアドバイスを導き出したんですか?」とかよく聞かれるのだけど、その辺を含めたカウンセリングまでの技術を教えることが、今の私の研究課題になっている。
クライアントに対するアドバイスを、ギリギリまでホロスコープから導き出せるよう目下検討中というところ。
私たち占い師の偏った人生観からではなく、ホロスコープの持ち主にできる限り沿ったアドバイスができるようにね。
石塚氏は
「当てる感」あるいは「当たる感」から入ってしまうと、最初は一生懸命勉強しているように見えるのですが、実はそんなに簡単に「当たる」ものでないことがわかると情熱が引いていくように感じるのですね。
と言っている。
そうだね。
「当てる」ってこと自体が、「占い師の価値」の補償になっているのかもしれない。
今日の講座では、ある生徒さんが「占星術って本当に深く理解しないと、逆に人を偏見の目で見ちゃいそうですね」と言ってくれた。
そうです!
ほんと、そこが多くの占星術学習者の問題点になってしまっている。
「当てなくちゃ」という不安から離れられないから、「だから水瓶座って変わり者って言われるんだよ」とかいう会話を成立させてしまうのだろう。
でも、簡単じゃないからといって情熱を引かせないでね。
私も石塚氏と同意見。
「ホロスコープよりも実際の人間のほうが奥深くて興味深い」のだから。
だからこそ、理解すればするほど占星術は面白くなる。
掘れば掘るほど、金脈に近付いていけるのだ。
なので、一緒に地底探査に繰り出しましょう!
走るぞ、走るぞと心に誓い早1年。
ようやくジョギングシューズを買い、代々木公園を走ってみた。
実は私、学生時代6年間陸上部で、まあまあの選手だったのだけれど、膝の靭帯を切ったり、両足肉離れしたりと故障に悩まされてきたので、走ることにずっと不安を持っていた。
テニスやらスキーやら、足を酷使するとやっぱり古傷が痛む。
でも、やっぱり走ってみることにした。
ジョギングは前頭葉を刺激するので物忘れ防止になるとか、いろいろ理由はあるのだけど、走りたかった一番の理由は、最近のスポーツウエアがえらくスタイリッシュでかわいいから。
単純だね。
あと「家庭の医学」とか始めたら、何か体にいいことしてみたくなってさ。
今日は足慣らし程度。
春紅葉とか、桜のつぼみとかで気を紛らわせながらのジョギング。
あー疲れた。
多分、3日坊主だから、「ジョギングどう?」とか聞かないでね。
気が向いた時、ぽつぽつ走ってみるよ。
そういえば今日、石塚氏が「心理占星術って何ですか?」のブログに対し、感想を送ってくれた。
「けれど、難しいのはここからだ。ホロスコープを解読したら、そこからはクライアントとの共同作業しかない。
ここからは、もう占星術の知識はあまり役に立たないだろう」
ってとこに共感してくれたんだって。
実は、あの個所は「当てる占い」に対するアンチテーゼで、「当てて、じゃあその後どうすんのよ!」という疑問がいつも私の頭の中にあって、結局、その後の処理のほうが大変で、そこが中途半端だから、「結局、占いって皆に当てはまるようなことを適当に言ってんじゃないの?」みたいになっていくんじゃない?と思ってる。
石塚氏にも伝えたのだけど、私の今の課題は、ホロスコープを用いてどこまでクライアントを導くのかということ。
ホロスコープ読み講座では、「どこから、そんなアドバイスを導き出したんですか?」とかよく聞かれるのだけど、その辺を含めたカウンセリングまでの技術を教えることが、今の私の研究課題になっている。
クライアントに対するアドバイスを、ギリギリまでホロスコープから導き出せるよう目下検討中というところ。
私たち占い師の偏った人生観からではなく、ホロスコープの持ち主にできる限り沿ったアドバイスができるようにね。
石塚氏は
「当てる感」あるいは「当たる感」から入ってしまうと、最初は一生懸命勉強しているように見えるのですが、実はそんなに簡単に「当たる」ものでないことがわかると情熱が引いていくように感じるのですね。
と言っている。
そうだね。
「当てる」ってこと自体が、「占い師の価値」の補償になっているのかもしれない。
今日の講座では、ある生徒さんが「占星術って本当に深く理解しないと、逆に人を偏見の目で見ちゃいそうですね」と言ってくれた。
そうです!
ほんと、そこが多くの占星術学習者の問題点になってしまっている。
「当てなくちゃ」という不安から離れられないから、「だから水瓶座って変わり者って言われるんだよ」とかいう会話を成立させてしまうのだろう。
でも、簡単じゃないからといって情熱を引かせないでね。
私も石塚氏と同意見。
「ホロスコープよりも実際の人間のほうが奥深くて興味深い」のだから。
だからこそ、理解すればするほど占星術は面白くなる。
掘れば掘るほど、金脈に近付いていけるのだ。
なので、一緒に地底探査に繰り出しましょう!
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